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低価格の英会話

N社長からヒントをもらって私自身で考えるようになったのですが、たとえば仕事の課題が目の前にあった時、それを「これから大阪にすぐ来てほしい」という指示と重ね合わせて考えるんです。 大阪に行けと言われると、人聞がまず無意識のうちに取る行動があります。
何だと思いますか?時閣を確認すること?その前段階にもう一つあるんです。 それは「自分が今どこにいるのか」を確認する作業なんです。
「五時間後に大阪に来い」と言われて、いま自分が六本木にいれば東京駅にすぐに言って新幹線に乗れば間に合いますよね。 でもいま自分がニューヨークにいたら、絶対に五時間後には大阪にはいけない。
仕事も同じで、自分の現状がいまどこにあって、その仕事ができるかどうか、できるとしたらどのぐらいの時間がかかるのかをきちんと認識することが必要なんです。 「大阪に来てくれ」と言われれば、ほとんどの人は自分がいまどこにいるのかを無意識のうちに確認しているのに、それが仕事となると、自分の居場所をきちんと確認しない人は意外と多いんです。
どこにどう向かえばいいのかわからないまま仕事に向かってしまうということですね。 どんな仕事でも、あるべき姿と現状のギャップが「課題」になると思うんです。
現状がどうなっているのかがわからなければ、課題も抽出できない。 でも現状を把握しないまま、間違った方向に突っ走ったりしているケ−スは多いと思います。
大企業だったら、「とりあえずがむしゃらに頑張ってます」と姿勢を見せればすむケ−スもあるかも知れませんが、ベンチャーでは自立心を持って、仕事をきちんと自分の命題ととらえて取り組み成果を出すことが大事です。 「私と会社」ではなく、「私が会社」という意識ですね。
大企業のビジネスマンにアドバイスを。 新卒で大企業に入って十年以上も経つと、自分自身の存在価値がどうなのかを考えなくなることが多いかもしれない。

でも本当に自分自身はこの環境で、日々成長を続けられているのかどうかを見つめ直した方がいいと思います。 ちなみに、「存在価値」というのは、自分の成果そのものではなく、他人でも出せる成果との差分です。
自分の取り組みゃ姿勢の問題もあるかも知れませんが、でも人聞は、自分が置かれている環境に大きな影響を受けるのもまた事実です。 環境を変えれば、自分自身も変わるということを考えてみてはいかがでしょうか。
Cは一九八三年に創業され、「ストリートフアイタ−」や「ロックマン」「バイオハザード」「鬼武者」など、常に時代に応じたエポックメーキングなゲ−ムコンテンツを作り出して来た企業である。 この間、一九九O年には株式を店頭公開。
九三年には大証二部、二OOO年には東証一部へと上場している。 圏内のゲ−ム市場が踊り場を迎える中、新たな注目市場であるオンラインゲ−ムへの参入や海外展開の強化などの戦略を矢継ぎ早に打ち出しており、持続した成長を続けている。
執行役員のさんは一九六三年生まれ。 もともとはM銀行(現東京M銀行)で、主に海外畑を歩いてきた銀行マンである。
ニューヨーク支店でコ−ポレ−トファイナンスやストラクチャーファイナンスなどを担当し、九七年には米カーネギーメロン大に留学し、MBA(経営学修士)も取得している。 いわば大手銀行のメインストリームを歩んできた人材と言っていいだろう。

東京M銀行を退社された理由は。 日本の銀行で仕事をしているということと、留学先のカーネギーメロン大で学んだことのギャップが大きかったということがありますね。
この大学はベンチャー志向の強い理工系の学校で、起業家向けの講座も聞かれているなど、新しいものにチャレンジしていこうという気風であふれでいたんです。 しかし日本に帰ってきてみると、当時M銀行が東京銀行とちょうど合併した直後だったこともあり、社内の決定プロセスが回りくどくなり、無駄な調整に時間がものすごくかかるなど、混乱した状態になっていました。
それに加えて、私自身も銀行の融資ではなく、実業をやってみたいという気持ちもあったものですから、九九年一月に退社したんです。 転職先は。
他の大手銀行も回ったのですが、仕事の内容は同じだなと感じました。 外資系銀行も回ったのですが、やはり自分で事業に取り組みたいという気持ちが強かった。
若いうちでないとそうしたチャレンジはできないし、実業でスキルを積んでみたいと思ったのです。 ただ九九年当時はまだネットベンチャーも揺藍期で、会社の規模はどこも小さかった。
あまりに小さな会社では仕事が細かくなってしまうと考え、ある程度の規模のベンチャー企業をと考えてみると、選択肢は数社しかなかった。 その結果、Hに転職を決めたんです。
Hは当時、若いベンチャー企業を育てようと積極的な投資を行っていましたし、チャレンジするのにはこうした会社がいいかなと思いました。 MからHに行って、カルチャーギャップはありましたか。

たとえばM銀行ではひとつの案件を通す際、紙に書いて上に順繰りに説明していくという段取りになります。 しかしHではそうしたプロセスがまったくなく、すぐに経営会議に諮って説明し、ゴ−サインを出すというやり方。
責任と権限が明確であり、アメリカ型の経営手法でした。 私はM時代にアメリカで仕事をしていて、アメリカの会社ともおつきあいがあり、マネジメントミーティングなどに参加させてもらっていた経験がありました。
だからHのやり方を見て、Mとは経営スタイルは全然違うけれど、こちらの方が自分には合うと感じました。 Hでの肩書きは。
グループ企画統括と経理を担当する執行役員でした。 最初の一年半ぐらいは、海外と国内の双方でネット関連の事業投資とインキュベーションを手掛けました。
ベンチャーキャピタルに近いのですが、企業に投資するのではなく、あくまでも事業投資が私の役割でした。 投資はかなりいい状態まで行ったのですが、結局二OOO年にHが(携帯電話事業投資の失敗から)連結赤字に陥ってしまい、莫大な負債を抱えて、事業投資もすべて売却する結果になりました。
その後は私自身はグループ企画に加えて経理を担当するようになり、負債の圧縮とリストラに取り組んだんです。 三年間にわたってそうした取り組みを続けてリストラもメドがつき、二OO二年一月に退職しました。
Hは営業力の会社として再生していこうと考えていて、私はもう少し別の道を模索してみたいと思ったからです。 Hの後は、どこに転職されたのですか。
いったんは外資系の経理ソフト販売会社であるIに経営戦略担当の執行役員兼最高財務責任者(CFO)として就職しました。 同社は米Intuitの子会社だったんですが、二00一年にMBO(経営陣による自社買収)で弥生株式会社として独立したんです。
私はこのMBOの仕組みに全力で取り組みました。 そしてこの仕事が一段落した時に、Cにめぐり会ったのです。
どんなところに魅力を感じたのですか。 エンターテインメントという新しい事業分野に強い興味を感じました。
それに加えて、T社長の卓越した経営手腕にも感銘を受け、この会社できちんと経営を勉強したいと思ったのです。 それで二OO三年三月に転職し、経営企画部長として戦略や事業提携、情報システム、広報、法務などを担当することになったのです。

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